菊地成孔氏のブルータスの音楽論評『対偶概念で読み解く、日本のポップシーン』での「流派-R系」と
「セカイ系」の対立概念で語る音楽評論は本当に面白かった。
この評論を読んですごく感じたことがあったので今日は少し書こうと思う。是非とも今月号のブルータスは面白いので一読の価値があるので是非お勧めする。http://magazineworld.jp/brutus/686/
宮台真司氏も以前述べていたが90年代前半、私たちが子供だったときに日本の音楽業界は大きな変化の時代に直面していた。「本格派の時代」つまりシンガーソングライターというものが力をつけ始めてきて歌謡アイドルの歌のような「ニセモノ」を悪とした。そうした流れの中で、僕らの時代のアイコンであるドラゴンアッシュが新しいサウンドと新しい歌詞そして新しい世界観を僕らに提示した。彼らのサンプリングを駆使し、不良のイケメンの先輩が語りかけてくるような歌詞を用いた音楽は私たちに大いな変化を引き起こさせた。「ノリ」である。
彼らは正体不明の「ノリ」という概念を提示した。この「ノリ」こそが今日の若者文化の基礎になっており、この「ノリ」こそが菊池氏が提示する対立する概念の基本となっているものだと僕は思う。ゼロ年代に青春を過ごした僕らは「ノリ」という共同幻想を破壊し、個人の世界に生きるための「ワザ」を僕らに与えた。「流派R」系の携帯メール音楽も、「世界系」の椎名林檎系の音楽も、全ては「ノリ」という世界を簡略化し明確にジャンル分けする流れからの影響を受けている。ドラゴンアッシュが提示した「ノリ」は今やコミュニケーションに必須なアイテムになっており、誰もが愛する共通のアイコンやシンボルを消し去った。
もう誰もが共通のヒーローはいないのだろうか?
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